しくじり先生オリラジあっちゃん「伊能忠敬」ひとりGoogleで稼いだ金額がエグイ!
8/6のオリラジ中田先生によるしくじり偉人伝は伊能忠敬(1745年~1818年)
日本の歴史を大きく変えた歴史上の人物として幕末の志士や戦国武将ほどメジャーな人物ではないかもしれませんが、スゴイ人なんです。
伊能忠敬をなめている?人も多いでしょう。
しかし伊能忠敬って本当に凄いのです。歴史好きの人からすると一番凄い人だという人もいるくらい。
中田先生いわく「地図を制する者は世界を制する」
世界的企業Googleがマップで成功をおさめました。
検索から始まったGoogleが地図を始めた理由。それは検索者の約30%が「場所」に関する情報を知りたがっているということを知ったから。
目的地探しに時間がかからない検索地図で世界No.1企業にまで上りつめたのです。
それにしてもしくじり先生、中田あっちゃんの解説はやっぱり分かりやすいし、おもしろいです。
頼まれると断れない性格から自身の夢を後回しにし、気付けば55歳。そこから自身の夢のために動き出した伊能忠敬。
もともとは天文学者になって宇宙の秘密を解き明かしたいという夢をもっていたそうです。
千葉の漁師の息子として生まれ育った伊能忠敬。しかし隣町の富豪、伊能家に婿養子として迎えられます。
そこで夢とは違うコメの売買や酒造りという「商売」の道へ。
抜群の秀才を買われ伊能家の婿養子になった伊能忠敬。
商売でもその才能を発揮します。
「何か」を足りないところに届ければより喜んでもらえる。
次の何かを金融に定めた伊能忠敬は大成功。商売で稼いだ金額「35億円」そして村長になるまでの人物になったのです。
伊能忠敬=ひとりGoogle!
ブルゾンちえみ風にいうと「伊能忠敬が稼いだ金額知ってる? 35億。」
しかし伊能忠敬の村では死者がゼロ。なぜか?
大飢饉を予測し米を大量に仕入れていたそうです。
伊能忠敬は商売での大成功にもつながった「予測」が得意だったのです。
なぜそれができたか?浅間山の大噴火を予測したわけではないようですが、異常気象などから大飢饉の到来を予測したのではないかと言われているそうです。
その予測で村人たちを救った伊能忠敬。その予測に興味のあった「天文学」の知識が活かされていたとも考えられます。
漁師の身分だった伊能忠敬はこのような偉業から名字帯刀が許される武士に大出世。
普通ならここまで出世すると人は「夢」を追わなくなります。
与えられた場所で結果を出してしまう人は夢をあきらめてしまう人の特徴だと中田先生はいいます。
本当は休みたいけど優秀で優しいから休めず、夢さえあきらめて目の前の仕事に頑張ってしまうのが日本人の特徴だとも。
しかし伊能忠敬は地位と名誉を捨てて「夢」のために勝負に出ます。
今まで手にしたすべてを捨て江戸幕府の天文学者「高橋至時」に弟子入り。このとき高橋至時は31歳。20歳近い年下の人物です。
ここから伊能忠敬の夢を追うセカンドライフが始まるのです。
伊能忠敬の野望それは「地球の大きさがしりたい」という夢。
そこで伊能忠敬が手法が完全に同じ歩幅で歩けたら地球の大きさを測れるというもの。そんなことが可能なのか?
何年も修行した結果、同じ歩幅で歩き続けることができるようになったのです。伊能忠敬ロボ説!!
しかし50万人の人が住む江戸の街で人にぶつかることなく測量するのは困難だったようです。
そこで江戸ではなく、人の少ない地方で測量したい。移動の自由がない江戸時代。そこで障害になったが関所だったのです。
何とかして関所を抜ける理由が必要だった伊能忠敬は幕府を利用することになります。
高橋師匠から言われたアドバイス。それが幕府のために「日本地図」を作ることだったのです。
江戸時代の北海道は「蝦夷地」と呼ばれ、ロシアなどが支配しようとしていました。江戸幕府はこの北海道を手に入れるために地図を必要としていました。
幕府から命令されて地図を作った人だという認識の方も多いかと思いますが、伊能忠敬は地球の大きさを知るために地図を作った人だったのです。
地図を作る名目で幕府から全国どこへでも行ける許可が与えられた伊能忠敬。
伊能忠敬が地図を作る旅、なんと20年!
その記録は伊能忠敬の詳細な51冊の日記から知ることができます。
遺書まで用意し、還暦をすぎてやっと日本地図を完成させます。
しかしこの20年、もちろん簡単に平穏に日本地図制作の旅が進んだわけではなく、さまざまな困難があったようです。
51冊の日記を中田先生がぎゅっと6項目にしぼったのが下記です。
最後にはさまざまな人間関係でのストレスなどから、熱病にかかり伊能忠敬は測量隊を去ることになりました。
伊能忠敬が完成させた天文学の知識が取り入れられた日本で最初の地図。この日本地図の詳細さに驚かされます。
そして伊能忠敬の夢、「地球の大きさがしりたい」はどうなったのか。
見事この夢も達成しています。
人生を2度生きた男。伊能忠敬享年73歳。
夢を追いかける楽しさ。
それは地位も名誉も財産も超えるということを伊能忠敬の生きざまから感じることができます。
50歳から安定を捨て、夢を追い偉業を成し遂げた伊能忠敬から学ぶ教訓。
夢を追うことを恐れるな!
夢はかなうかかなわないかではない。
追うか追わないかである。
夢はかなえたかなえないじゃない。夢を追うのが怖いのはかなうかどうかわからないから。
夢を追う人生は人それぞれ。チャンスの対民がもひとそれぞれ。
夢を追う人生のワクワク充実感。それが人生で何より大切なんだということを今回の中田先生のしくじり偉人伝から学びました。
オリラジ中田先生が番組史上初の一般開校授業で伊能忠敬のしくじりを分析『しくじり先生』 https://t.co/YpEjYLubSR #ISSA #中田敦彦 #しくじり先生 pic.twitter.com/JN9k3nxZ4B
— music.jp (@musicjp_mti) 2017年8月5日
しかし中田先生のプレゼン力、あいかわらずすばらしいですね!
オリラジ中田あっちゃんが中学の社会の先生だったら多分成績めっちゃ上がってたという意見も多数。
オリラジ中田あっちゃんの説得力すごい。この人が先生だったら絶対授業楽しいでしょうし、勉強好きの生徒が増えることまちがいなしですね。
今後もしくじり偉人伝期待してます!